黄金はどのように見付けられたのか。
その謎を、作家高橋克彦氏の「風の陣」から読み解いていく。
『それよりわずか三月(みつき)ほど前の天平二十年の暮。陸奥の小田郡の山中を雪を掻き分けつつ進
む二人の人影があった。一人は白髪の老人。もう一人はまだ三十代前半の屈強な男である。・・・
浄山はあらためて老人に頭を下げた。老人の名は物部吉風(もののべのきっぷう)。従って来た若者
は、その長男の二風。金堀りを生業とする浄山と修験の僧である宮麻呂(みやまろ)にとって二人は
主人に等しい存在であった。陸奥の山は物部一族の支配下にある。
「銅は許したが、黄金には手を出すなときつく申し渡したはず、我らの欲で言うたのではない。黄
金は陸奥を滅ぼす。それをうぬらには分からなんだか」
「重々承知にございましたが・・・陸奥守さまのご熱心さについほだされてしまい申した。民の安
堵のためと口説かれては・・・」
浄山は額の汗を拭いながら弁明した。
「陸奥守百済敬福(くだらのけいふく)はうぬと同様の身。それで力を貸すつもりになったであろう」
吉風の言葉に浄山は身を締めた。吉風の言うごとく浄山の祖父も敬福の先祖とおなじに百済から渡
って来ている。
「民の安堵とは、口先ばかりではないか。相次ぐ寺の造営が民をさらに苦しめておる。都の大仏の
建立にどれほどの民が使役を強いられておるか知らぬうぬらではあるまい。陸奥より黄金が出たと
知れば帝はますます増長する。それで国が滅びようと我らの関わることではないが、案じられるの
は陸奥。必ず黄金を求めて兵の増強にかかる。これまでのようには参らぬ。大仏のための黄金が調
達できれば、それで終わるというものではない」』
(高橋克彦『風の陣』一 立志編 講談社文庫、2018年, pp12-13、14-15)
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